今の大学入試は「人工知能が発達した未来」を想定している
2018/01/19

今の大学入試は昔と違うのをご存知でしょうか?
前までは選択マークシート形式が主流でした。でもこれから社会に出てクリエイティブな仕事を行うためには筆記形式の方が役に立つということで見直されているのです。
これから来るであろう人工知能に仕事が奪われる未来に対抗するために、今から人間の持ち味を高めて備えようとする動きです。
人工知能に奪われる仕事

人工知能
人工知能に取って代わられる仕事は、ほぼ全てといえます。
単純労働は真っ先に機械に代わりますし、人工知能は今まで人間にしかできないと言われていた高度な仕事ですらも奪っていきます。
弁護士や医者、税理士ですらも機械が行うようになります。
一説によると2030年には現在の仕事の48%が奪われる模様です。
2045年には完全に人間は機械に負けてしまい人工知能が支配する世界が来るかもしれないとも言われています。
みんなが商品を「高くてもいいから買う」と言ってくれればそんなことにはならないのですが、当然ながら「安くていいものが欲しい」とどうしても思ってしまいますよね。
そうするとメーカーはコストを下げるために人件費を削って機械に頼るようになります。
そのため私たちの仕事はどんどんなくなっていきます。
人間にしかできないこと

音楽ライブ
今のところ、クリエイティブな仕事や人の感情を動かす仕事が生き残ると想定されます。
具体的にはアーティストやタレントです。
こうした人間の感性に訴えかける仕事というのは人工知能に代わられるのは一番最後といえます。
人間には、「創造する」という優れた能力があります。
この能力を伸ばしていかなければ、これからの仕事の奪い合いに勝ち残ることはできません。
ただ上司の命令に従って行動するだけであれば機械の方がよっぽど精度も高く重宝されるでしょう。
健康を損ねて休む心配もないですし仕事の不満も言ってきません。
時代の変化を受けた試験の変化
≪以前≫
Q. 選択肢の中から、間違っているものをひとつ選びなさい。
今までは文章の中から間違った部分を探すという、「知識」を問う問題でした。
≪現在≫
Q. 「○○」につて簡単に説明したうえで、あなたの意見を述べてください。
記述式になれば「知識」を正しく活用し「表現」する力が必要になります。
知識を自分のものとして応用し、自分で考える力が問われるのです。
ただ単に知識を持ってるだけではなく、それを人に伝えるために表現したり応用する能力が必要になります。
そのために何度も学校でトレーニングも必要になりますね。
もちろんこれに合わせて学校の授業の内容も変わってきます。
マークシート形式のメリットは、公平に採点されるというところです。
大学受験は一生をかけた戦いの場ですから、採点者によって判断基準や点数に差があると困るのでマークシートが採用されたのだと思います。

マークシート形式
私自身、マークシート形式が嫌いでした。
どうしてかというと、英語でも国語でも自分で「表現する力」が身につかないからです。
小学校の時の国語のテストは自由に答えを書いていました。
理科のテストも自由に記入して採点してもらってましたよね。
これが中学校から高校になるにつれて選択式に変わっていくのです。
おそらく大学入試に基準をおいて勉強させられるためだと思います。
志望校に合格することが高校の目的になっている教育に当時から疑問でした。
もっとこれからの人生で役立つ知識や常識、倫理観、プレゼンテーション能力、自己管理能力などのスキルを高めてあげるほうがよっぽど社会の役に立つと思いませんか?
なんのための勉強?

大学講義
大学に行く意味ってあるの?
私は一応文系の大学を卒業しましたが、正直大学なんて行かなくてもいいんじゃないかなとも思います。
(音楽大学や芸術大学などの専門的な勉強ができるところは話は別です。)
私が大学で学んだことといえば論文の書き方くらいです。
あとは就活の仕方を教わったくらいで、授業で教わったことで社会に出て役に立ったことはほぼありません。
行く大学にもよるのでしょうが、私の中途半端な大学では授業で面白いと思ったことなんてひとつもなかったですね。
「じゃあなんで大学卒業してんのよ?」と思われるかもしれません。
大学は就職を有利に進めるための道具でしかないと私は思っていました。
大卒というだけでブランド名がついてきて初任給も少し上がります。
部活に入っていれば根性を認められてエピソードも話せて面接や履歴書に有利ということで、私は辛い体育会系の部活も4年間続けました。
辛くて何度もやめたかったですけど、就職のためにと頑張りました。
(でもこれに関しては精神的な部分で多くのことを学べました。)
でも社会に出て大学の授業で学んだことを活かせた経験は一度もないんですよね。
大学を卒業したからこそ、入らなくてもよかったという意見が言えるのです。
将来の夢を持っていますか?
今の高校生の半分以上は大学に進学しています。
でもそれは大学で今の勉学をさらに追究したいという思いではなく、周りに流されているだけがほとんどです。
まだ仕事をすることが不安で、22歳で大学を卒業するまで「遊んでいたい」「もう少し大人になるための準備がほしい」と思っているだけです。
「やりたいこともまだ決まっていない」こう思う生徒が多いことが、そもそも今の教育のよくない部分だと思います。
将来の可能性の芽を摘まないようにという建前を掲げて、みんな同じように教育して大人の言うことを聞けるような従順な子供に育て上げてしまったため、自分の長所も分からず自分の意見もない学生が多いんです。
いままで大人の言うことを聞いて生きてきたのが、年齢だからといって急に社会に放り出されても困りますよね。
勉強を何のためにやっているのか、将来の自分の姿を想像して今の行動を選択してるか、ということを学校は教えてくれません。
なんでもかんでも学校任せにするのも良くはないですが、それでも勉強するための心構えは教えるべきじゃないでしょうか。
一人ひとりに向き合って、将来の仕事を見つけてあげる。
そのために必要な勉強なのだと教えてあげれば誰の機嫌取りでもなく自分のために勉強できるはずです。
英語って高校であそこまで教える必要あるんでしょうか?
将来英語を使わない人にとっては無駄な時間じゃないですか?
なぜ全員に教えようとするのか疑問です。
古文も漢文もいらないです。
「こんなのがあるんだよ」ときっかけだけ作ってあげて、興味がある人が選択して勉強する位置づけで良いと思います。
生徒に向き合う時間や余裕がないと先生が嘆くのは根本の仕組みが悪いからです。
日本は先進国なのに(今は疑問だけど)学力の世界ランキングで低い順位なのはかなり問題ですよね。
まあ志望校に進学して卒業してしまえば後はどうでもいいんでしょうね。毎年たくさんの生徒が入ってくるのでそこまでの面倒は見れないですよね。理想とのギャップに嫌気がさす先生もいるでしょうが、個人の力だけでは抗うこともできないのが現実です。
退学するのもアリ
そんなこんなで、流されて入るだけの大学ならやめておいた方がマシだと思うのです。一旦入学したとしても、つまらなかったら途中で退学してもいいと思います。
親には殴られることになるでしょう。
ここまでかなりのお金をつぎ込んできたのですから。
親や周囲の期待を裏切ってやめたあとは、自分でしっかりケツは拭かなければいけません。
あとになって泣きついて助けれくれる人はいません。
それと引き換えにしても大学に行かずに就職して早く社会に出た方が、若い時の4年間を有意義に使えたなあと私は思います。
どうせ社会に出る心の準備なんて21歳で就活するまでは出来ていない訳ですから。
若い時の数年って本当に貴重ですよ・・・。
退学までできない方は
とはいっても退学を決意できない人は、自分が手にした自由な時間を無駄に過ごさないようにだけ気を付けてほしいです。
大学生活の2/3以上は自由な時間です。
大学の授業なんて1日数時間で終わりますし、夏休みや冬休みもそれぞれ2ヶ月あります。
授業だって寝ていても出席とって試験の論文をそれっぽく書けば単位がもらえます。
その自由な時間を有意義に使ってほしいと思います。色んなバイトをして社会経験を積むのも良いですし、スポーツなど好きなことに打ち込んでみるのも良いと思います。
外国で様々な文化に触れてみるのもいい経験になります。
パソコンを得意にしておくのも今後役に立つことですし、ビジネスについて面白い考えを持つ仲間を増やしていくのも今後役に立ちます。
あまり努力せず大学は卒業し、その他の自由時間にかける努力をするのがいいと思います。
年間約150万円支払って手に入れた自由です。
有意義に活用してください。
・・・と、今のような教育体制が続くのであれば上のように思う訳です。
教育カリキュラムの中で社会に出た時に役立つスキルを学べるのであれば、高校生活や大学生活にも意味が出てきます。
さいごに
社会に出て就職すれば今までの学力は会社では全く役に立たず、全てゼロからの新人として扱われます。
その時に大事になるのが、社会人としての常識やマナー、努力するための自己管理能力、パソコンスキル、サラリーマンの心得などです。
ここになじめず、プライドが高いだけなので新卒は扱いが難しいとされています。
そんなことならいっそ、社会に出てすぐに働くことのできる人材を育て上げたほうが日本のためであり、なにより本人のためです。
私の中で今まで学校の教育に対してモヤモヤした感情があり、記述形式への大学入試の変化にかなり嬉しさを覚えました。
これによって「勉強はできても社会人としては全然仕事ができない」という若者が減ってくれると信じています。
仕組みとしてはまだまだ始まったばかりでしょうが、人工知能に対する危機感をきっかけとして人は変わっていかなければなりませんね。
世の中の仕組みに対して疑問を持ち、「自分たちがなんとかしなければ」と立ち上がる人たちが増えてくれば、もっと住みやすく合理的な社会になるはずです。